岩道 博という男Ⅲ 独立とKAWASAKI
1966年弱冠二十歳で
晴れて「岩道モーターサイクルショップ」
として独立を果たした。
創業当初は無冠だったが、商売も順調に
運び、やりたかったダートトラックレー
スに明け暮れた。折しも川崎重工の単車
事業部という独立部門が立ち上がった年
で、まもなく岡山にも支社が発足された。
欧米での販売好調からKAWASAKIブーム
の到来と共に岩道モーターサイクルにも
KAWASAKIが欲しいという客が現れだ
したことで販売実績が伴うと、4大メー
カーの中でも販売網的に後れをとってい
た川崎重工単車事業部は1968年弱冠22歳
の岩道青年に販売代理店権と看板や店舗
改装費用に充てる資金200万円の融資を申
し出、博青年もそれに応える形となった。
当時のCIのカワサキグリーンに塗られた店舗 提供:岩道博 氏
その年は結婚という一大イベントもあっ
た年で、結婚の条件として奥様のご両親
から「レースを辞めること」が挙がり、
青年はそれを受容れた。
だが、それは嘘のような本当の話で、
「条件通り「ダートトラック」のレース
は辞めたが「ロードレース」に転向した
だけの引退だったのだ・・・
だが、それが後のワークスライダー岩道
博誕生への転機となった年でもあった。
その頃のエピソードに当時のカワサキの
開発陣は自走で明石から愛媛の松山オー
トテック(モトクロスコース)でのモト
クロス車のテストに岡山市内を縦断し宇
野港からフェリーに乗るために自走で走
る事は日常だった。ある日その一行の一
台が東岡山辺りで故障をして困っていた
所、たまたま通りかかった岩道氏が応急
処置を施し無事に再出発出来たのだが、
その一行の一人がに後にミスターカワサ
キと呼ばれ「キヨさん」の愛称で多くの
バイクファンにリスペクトされる清原明
彦氏が居た。まだ二人共に無名のライダ
ーだったが、現在も交流が続いており
先日も(2023/10/12)も岡山国際サーキットで
バトルを繰り広げたとか・・・
左からレジェンドライダーの塚本昭一 氏 清原明彦 氏 岩道 氏 2023/10/12
画像提供:赤木一比古 様
次回はいよいよKAWASAKIワークスへ時代の章へ